~魔裟斗革命ウルフレボリューション発足~

魔裟斗

 



ワタナベボクシングジム 封じられたキック

全日本を退団後

それからの生活は一変

練習場所がなくなり

一人でもできる

ロードワークとシャドーを黙々と続けていた

練習場所を確保しようと

ジムへ電話するも

魔裟斗と名乗ると切られてしまう

直接ジムへお願いしに行くも

罵声を浴びせられる状態だった

当時はフリーになることが珍しく

お世話になったジムや団体への

裏切り行為と誤解されていたのだ

光が見えないなか

いつも通りロードワークをしていると

藤ジムの元ジム仲間と偶然再会する

現状を伝えると

知り合いのボクシングジムだったら

紹介できるということで

五反田にある

ワタナベボクシングジムを紹介してもらう

そして埼玉の実家からの

交通費の節約と

更なるやる気を出す為に

東京の西麻布の

ワンルームマンションへと引っ越す

朝10キロのロードワーク後

交通費の節約にもなり足腰を鍛えられると

マウンテンバイクで西麻布から五反田までを走り

ボクシングの練習に取り組む

ボクシングジムではキックが使えないので

徐々にフラストレーションが溜まり

キックの練習場所を求め

再びタイへ向かう

ヌアトラニー

タイ人に邪魔者扱いされるのはどうでもよかった

日本で、できなかった

キックの練習ができる

夢中になってサンドバックへ

キックを放ち続ける

周りは気味悪そうに見ているなか

一人のタイ人が「ミット持ってやるよ」

とジェスチャーでリングへ招く

このタイ人は

後に引退までトレーナーを務めることになる

ヌアトラニー

それからの毎日

ヌアトラニーに指導をお願いする

帰国前には

ヌアトラニーに

慣れないタイ語で

トレーナーをしてもらいたいから一緒について来てほしい

とお願いする

魔裟斗の突然の申し出に驚くも

1年の期限付きでトレーナー引き受ける

帰国後

ヌアトラニーのアパートが見つかるまで

埼玉の実家で一緒に暮らすことに

ヌアトラニーのアパートが見つかりひと段落するも

相変わらずキックボクシングの練習場所が見つからない

コロシアム2000へ参戦

ある日、用事で渋谷を歩いていたら

偶然にも全日本時代のTV関係者と再会する

チャンスと踏んで

試合を組んでもらえるように直談判

しかし答えはノー

キックではなく

総合格闘技の仕事をしていて

コロシアム2000のイベントに携わっていた

その場は電話番号を交換し一旦引くことに

その後

電話が待ちきれず

自ら、話し盛り上げることができることを力説

その後も交渉を行う

魔裟斗の熱意に負け

総合格闘技の大会に

1試合のみキックボクシングの試合を組むことを約束してくれる

更に、練習場所がない魔裟斗に

パンクラス道場

選手がいないときだけ使用させてもらえることとなる

それからは

  1. 朝10キロのロードワーク
  2. 五反田までの道のりをマウンテンバイクで走
  3. ワタナベボクシングでボクシングの練習
  4. パンクラスでヌアトラニーとキックボクシングの練習

そしてコロシアム2000へ臨む

vsメルチョー・メノー

大観衆のなか

唯一のキックボクシングの試合が行われる

対戦相手はアメリカのチャンピオン

メルチョー・メノー

1R

1R 魔裟斗の肘ヒットし、メノーが流血

4R

魔裟斗のローキックにより

メノーが3度のダウンを喫する

4RKO勝利を飾り

大歓声を浴びる

試合後、打ち上げパーティーに参加

K-1の創設者

石井和義正道会館館長と初対面する

試合を絶賛され

チャンスと思い名刺をもらう

しかし館長へすぐ連絡はせず

魔裟斗は自主興行を考えていた

クラブハウスでバンドが演奏するなか

試合を行うという画期的ものだった

それまでの格闘技は

目の肥えた男性ファンばかりで

女性は皆無に等しかった

人気バンドに参加してもらい

キックボクシングを知るきっかけづくりとして

バンドが演奏するなか

真ん中にリングを設置

試合をするという前代未聞のイベントだった

イベント立ち上げの際

stab blueのHaruと

今後の格闘技の話で

二人は意気投合し

イベント立ち上げに至った

 



ウルフレボリューション

初の自主興行の名前は

ウルフレボリューション

場所は

六本木ヴェルファーレに決まった

こうして準備が整い

石井館長を会場へ招いた

大会には

尊敬する前田憲作と

犬猿の仲、小比類巻に出場してもらい

魔裟斗はメインで戦うことになる

相手はオーストラリア二冠王者

クレイトン・コリアー

1R左フックでKO勝利

最高の形で結果を見せる

ウルフレボリューションの反響が大きくメディアの露出が増え始める

K-1 J-MAX開催

その後

石井館長より連絡があり

二人で会うことに

ウルフレボリューションへの賛辞を受け

K-1で中量級イベント開催を提案される

しかし魔裟斗は

イベントだけでは盛り上がりに欠けると判断

タイトルマッチを組んでもらえるよう交渉する

ころ頃から注目を集めるためにビッグマウスを演じ始める

そして

K-1初の中量級イベント

K-1 J-MAXが開催される

相手は

当時最強と言われていた

ムラッド・サリ

1R

互いにダウンに近いスリップ判定

2R

ロープに追い詰め

左フックによる

失神KO勝利を飾る

サリを倒し

ISKA世界オリエンタルウエルター級王者に輝く

魔裟斗はセミファイナル

小比類巻はメインで戦い

両者ともに王者に輝く

その後

自主興行を2回行い

全てKO勝利

K-1にも出場し

連勝を重ねる

vsノエル・ソアレス

ノエル・ソアレス戦前に

眼底骨折するも

幸い手術には至らなかった

そしてついに

2002年2月に

中量級日本一決定トーナメント開催が決定となる

K-1 MAXに続く。

 



ウルフレボリューションのDVDはこちら↓

記念すべき第一回大会から

全日本での対戦予定だったモハメド・オワリ戦

格闘技のパイオニア宇野薫との

エキシビションなど

全5試合を収録

魔裟斗の解説とともに振り返る

またインタビューでは

チーマー時代から

K-1王者に輝くまでを語る

魔裟斗ファンは一見の価値あり!

kazutoもこのDVDを所有しています

魔裟斗の試合解説や裏話、インタビューも面白く何回も観ました

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